ー くわしいおはなし ー
生まれも育ちも東京・新宿は歌舞伎町の隣町・大久保。物心付いてからは、朝・夕方のNHKの教育番組等から普通の童謡を聞く一方、親の舞台製作の仕事の影響か、夜は同局の歌舞伎や狂言の番組にどんな番組よりもかぶりついて見る。三味線を習いたいと言い出す。
ここらあたりで同世代の友人と趣味がずれはじめる。
また、幼稚園での模倣遊び、いわゆる「〜ごっこ」遊びでもその様子が垣間見られるようになる。友人達は「仮面ライダー」や「ウルトラマン」、「××レンジャー」などの役を取り合う中、ガンとして一人、銭形平次or遠山の金さんの役を貫き通す。牛乳瓶のフタの真ん中を切りぬいて作った「投げ銭」をスペシウム光線に向かって投げつける。ここに「ウルトラマンVS銭形平次」の夢のデスマッチが確立。担任にとても心配される。
小学校に入学後は「よく聞く歌手はかぐや姫と松山千春とイルカです☆」と言いながらいたって普通に過ごしていたが、親父の仕事の関係でウエインショーターの来日公演を小5で見に行き、火がつく。ただジャズを意識いたわけでなく、サックスという楽器に興味を持つ。そのころはジャズ=ビッグバンドくらいしか知らなかったし、聞いてなかった。
翌年、ブラスバンドクラブに入部。バリトンサックスを担当。でかさにびびる。「中学になったらメロディーやるんだ!」と意気込み、勢いでマルカートのアルトを購入。
地元の中学に入学後、吹奏楽部に乗りこむが、サックス希望者多数でオーディション。結果、「器用そうだから」とバスクラに転向させらえれる。
途方にくれる中、親が都報でとある記事を発見。「第一回 こどもとジャズオーケストラ 実験工房コンサート」であった。
都内の中高生を中心に募集し、プロのジャズ演奏家の方々のクリニックを受講した後、コンサートを開く、という内容のNPOの文化芸術活動の一環として行われた企画に参加。初回のクリニックで回りのレベルの高さにズタボロになりながらもがんばる。そこで現在の師匠、川村裕司氏と出会う。企画終了後、師を探し出しレッスンしてもらうことになる。なお、この企画でトランペッター菅家隆介と出会う。のちに一緒に演奏活動をしていくこととなる・・・・
そんなこんなで楽器庫でフルートをひっぱりだし、勝手に持ちかえって練習したり、3年の時の担任(Drums)とブルースをやったりしながら中学生活を過ごす。
中2の時にストレス性十二指腸潰瘍になる。
高校に入ってからも吹奏楽部に入部するも、ジャズのセッティングのままで先輩方に多大な迷惑もかける。しかし文化祭や定期演奏会のポップスステージで飛び道具として使ってもらう。恩師、M先生には本当に感謝しきれない。
なお、母親の誕生日の前夜に腎臓結石で運ばれる。
高2の時には、なにかの演奏会でJT(日本たばこ)の未成年者喫煙防止のCMのプロデューサーに声をかけられる。最終選考の2人まで行き、もう片方のクラシックテナー高校生に取られた。理由は「プレイに貫禄がありすぎて初々しくない」と・・・なんじゃそりゃ。
それから現在にかけて、様々なプロ・アマ問わずプレーヤーとの交流が増え、学生バンドや社会人バンド等、様々なアマチュアバンドに顔を出すようになり、自己のバンドも作ったり作らなかったり。
そんな中、2004年、打ちきられてしまった「こどもジャズ」の経験者を集め「FunnyJazzyBox」を結成。バンマスに着任。現在に至る。
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